藍住町の紹介

藍住町は昭和30年、藍園村と住吉村が合併して生まれました。
藍住という名のとおり、今から600〜700年前より"藍"の住んでいた町です。


− CONTENTS −
人の動き
藍住町歴史館"藍の館"
藍住の文化財
特産・洋人参
藍翠園のバラ園
夏祭り


1. 人の動き(2012年1月末現在)--「広報あいずみ」による

人口33,870人
16,302人
17,568人
65歳以上5,781人
15歳未満5,429人
世帯数12,653戸
平均年齢41.43歳

2. 藍住町歴史館 "藍の館"

藍の館

 天保から明治時代にかけて大藍商として栄えた奥村家の藍家敷は 現在、県の有形文化財にも指定され、藍商人たちの当時の栄華を 今に伝える「藍住町歴史館・藍の館」として、平成元年8月1日生まれ変わりました。

展示
o 紙人形による阿波藍住の栽培と加工説明
o 藍染めの伝統的な着物や古布
o 藍染めの現代作品
o 藍の流通関係史料・各種農機具類
o 藍を知るビデオ・パソコン
o 藍商関係の経営史料
o 奥村家美術品

やってみよう
o 藍染め体験が出来ます。ハンカチやTシャツを染めてオリジナルを作ってみよう!

3. 藍住の文化財

 藍住町は紀元100年ごろには私達の祖先が住み始めていたことが確かめられています。
 また、600年ごろには、藍の栽培が始まり、平安時代になると、藍畑は豪族たちの荘園として吸収されていきました。


@勝瑞城祉
小笠保長清が承久の乱(1221年)の後 阿波の守護となり藍の里に初めて城を築きました。 その後、細川氏の守護所・戦国大名の三好氏の居城として栄え26もの寺が建てられました。

A住吉城
天正13年(1585年)赤松則房が四国征伐にやってきた 豊臣秀吉にその活躍ぶりが認められ、住吉藩を立藩し住吉城を築きました。

B正法寺の天井絵
天法寺
江戸時代、徳川家康の長女であった於虎の方のこと敬台院は 大阪の陣の後、住吉藩が廃されたのを受けて、 この地を領地に授けられました。
この敬台院は、正法寺を再建し、以後幕府の手厚い保護を受けました。
本堂には見事な天井絵などが残されています。

4. 特産・洋人参

人参

 藍住町の洋ニンジンは出荷量の少ない端境期に各地の市場に出荷しています。 洋ニンジンの栽培の起点は昭和35年頃だといわれていますが、 主に麦の転作に取り組むようになった40年代から本格化しました。
 厳冬のころビニールハウスで育てられ、 春になるとハウスに風穴を開けて空気の流通をはかります。
 4月〜5月、収穫期です。
 藍住の洋ニンジンは、平成2年に日本農業賞の金賞を受賞しました。



5. 藍翠園のバラ園 --矢上字原263-88

バラ園

昭和54年4月に開園したバラ園は、270種、1000株のバラが一斉に咲き 正法寺川辺では、甘い香りがただよっています。
平成元年の植樹祭でご来県された天皇皇后両陛下に、約20本のバラの花が献上されました。

バラまつり(見頃)
5月中旬〜下旬
10月中旬〜下旬

近くには正法寺公園もありますから、ぜひ訪れてみて下さい。

公園

6. 夏祭り

平成16年7月から、諸般の事情により花火大会の開催を中止し、 「あいずみ商工会」主催のもと、 夏祭りとして、「あいずみ商工会納涼祭」を実施しています。
ゲームや町民歌謡ショー、阿波踊りなどの催しがあります。



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